なぜマンガは「Comics」なのか?
小田切博 (2009/09/30)
今回、アメリカン・コミックスに特に造詣の深い小田切博さんに寄稿していただきました。『戦争はいかに「マンガ」を変えるか アメリカンコミックスの変貌』や『アメリカンコミックス最前線』(共編著)などの仕事からもわかるように、小田切さんはアメリカ文脈をフィールドとする方であり、主に現代 BD を扱う当サイトとは分野が異なります。ですが、総称としての「マンガ」の歴史を俯瞰すると、「アメリカとフランス」などという境界線は(あるいは現在「マンガ」に分類されているものといないものの境界線すらも)曖昧になってきます。今回はそうした観点からお読みください。
去る2009年6月20日、21日の2日間、東京工芸大学において日本マンガ学会第9回大会がおこなわれた。
初日である20日におこなわれた発表の中に東北大学大学院の三浦知志氏による「『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』における初期コミックストリップ」というものがあった。これは『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』という新聞の20世紀初頭の数年分の複写を取り寄せ、そこに掲載されているコミックストリップをリニアに追っていく、というきわめて地味だが非常に実証的なものである(このレポートについては会場で質疑に参加した夏目房之介のブログでも記述がある)。
発表の中味も興味深かったのだが、個人的な興味から事後三浦氏に紹介してもらい当時の新聞紙上でそれらの作品が「Comic Strip」と呼ばれていたかどうかを確認させてもらった。
――といっても一般的には「なぜそれが疑問になるのか」自体がピンとこないだろう。多少遠回りになるが、この点について若干の説明をしておく。
周知のように日本語における「マンガ」は英語では「Comics」のことだとされている。また仏語ではこれを「bande dessinée」という。しかし、この三つの名詞はじつは意味的にはその指示する対象がそれぞれ異なっている。
日本語の「マンガ」は「マンガ絵」といった用法に見られるように「ある特定の絵柄」を意味する言葉であり、仏語の「bande dessinée」は直訳すると「描かれた帯」を意味し「コママンガ」のメディアとしての表現様式を指す用語である。
では「Comics」はといえば、いうまでもなく現在でも「喜劇」を意味する単語であり、「マンガ」や「bande dessinée」のように表現様式を示すものではない、表現内容を指した言葉だ。実際にアメリカの新聞マンガにおいてはギャグマンガに類するものは「Comic Strip」、ストーリーマンガに類するものは「Adventure Strip」と呼ばれている。「Strip」という言葉は本来「帯、細長い布」を意味し、用法を見る限り「コママンガ」の含意は「Comic」ではなく「Strip」の側にあるように思える。このため私は英語における「コママンガ」を意味する言葉は本来「Strip」のほうだったのではないかという仮説を立てていた。
要するに事前にそのような問題意識があったため、前述したような疑問点を実際に現物に当たった三浦氏にお聞きすることにしたわけだ。そして、このとき三浦氏から得られた回答はじつはこの私の仮説を裏切るものだった。
氏によれば当時の新聞の紙面での「Comics」は「Graphic Humore」や「Comic Series」と呼ばれており「Comic Strip」という呼称自体、日曜版娯楽面におけるコミックス専門ページに対しては使われておらず、日刊紙版に4コマ等で毎日連載されるような形態のものが登場して以降のことだという。英語での日刊4コママンガは言葉が横書きである関係上横長にレイアウトされることが多いため、これを「Strip」と呼称するのは見た目の点からも自然だが、すると少なくとも英語における「マンガ」というものは「コママンガ」という表現様式の部分によって定義づけられたものではなく「ユーモア」や「滑稽味」といった表現内容の部分による規定が先行して存在していたことになる。
こうした点から「美術」と「マンガ」の相違、分化を考えていくと非常に興味深いのではないかとも思うが、とりあえずそうした考察はここではおこなわない。
もちろん以上はあくまでも伝聞に基いた仮説であり、厳密に詰めていくためには、自分自身である程度広範に当時の新聞や雑誌に直接あたり、その記述を確認していく作業が必要になる。まあ、そのためには手間もかかれば費用もかかり、なによりもそんなことするのは単にめんどくさいから嫌なわけだが、個人的には現在の「マンガ研究」というものを考えた場合このような疑問と仮説、そして検証を繰り返す作業、そしてそのような方法論の必要性への認識がなによりも重要ではないかと思っている。
現在存在するようなマンガの起源としては、フランスを中心とするヨーロッパ圏では19世紀スイスの風刺画家、作家ロドルフ・テプフェール(Rodolphe Töpffer)であるとされ、アメリカでは20世紀新聞連載コミックストリップの原型を作ったリチャード・アウトコールト(Richard F. Outcault)がそれであると主張されることが多い。
こうした欧米での異なった「起源」の主張はそれ自体政治的な意図を持ったものだ。
「第9芸術」として国家レベルで B.D. が育成振興対象となっているフランスでは西洋美術史の文脈の中にマンガという表現様式の出現を位置づけたいという欲望があるのだろうし、移民の国であるアメリカには自国発祥の文化としてコミックスの存在をアピールしたいという動機がある。その意味でマンガの起源を手塚治虫に求めようとする日本での傾向にも欧米との関係を否認し「日本文化」の独自性を語りたいというナショナリスティックな欲望を見ることが可能だ。
しかし、メディア研究として「マンガ研究」を確立することを考えるなら、そのような定説的な「起源」はカッコにくくられる必要がある。
たとえばアメリカのコミックス批評誌 『THE COMICS JOURNAL』#297(Fantagraphics、2009年)には20世紀初頭に『Massez』などで活躍したアメリカのカートゥーニスト、アート・ヤング(Art Young)による18世紀イギリスの風刺画家トーマス・ローランドソン(Thomas Rowlandson)の評伝が復刻掲載されている。ヤングはこのテキストを「現在時事風刺画(Topical caricature)と呼ばれているマンガ(cartooning)はジョージIII世統治下のイギリスで活躍したトマス・ローランドソンの時代に市民権を得た」という記述で書きはじめている。
つまり20世紀初頭アメリカの社会改革派の雑誌で活動していたマンガ家であるヤングにとって自らの仕事の起源はローランドソンらウィリアム・ホガース(William Hogarth)以降に登場したヨーロッパの風刺画家たちだと認識されていたことになる。
もちろんヤング自身、あくまでもカートゥーニストでありコミックストリップ登場以前の作家なのだが、このように「起源」の認識は時代状況やその特定個人が置かれた文脈によって異なっている。重要なのは固定された起源ではなく、現在の状況を作り出している相関関係の束としての歴史だ。
ローランドソンは風刺画家であると同時に著名な挿絵画家でもあった……というより18世紀のイギリスではそのふたつは切り離せなかったのだと考えたほうがよい。愛知大学の英文学者、清水一嘉は『挿絵画家の時代 ヴィクトリア朝の出版文化(大修館書店、2001年)の中でこの点について興味深い指摘をしている。清水はローランドソンとウィリアム・クーム(William Combe)による挿画本『シンタックス博士のピクチャレスクを探す旅』(The Tour of Dr. Syntax in Search of the Picturesque)について「添えられていたのは絵の方ではなく、むしろ文章のほうである」と書いている。そもそも新聞や雑誌などの大衆向けのプリントメディアは諷刺版画の延長上に成立したもので、初期の出版物において挿絵と小説や詩といったテキストの力関係は逆だった、というのが荒っぽくまとめた同書における清水の指摘である。
これは現代のライトノベルにおける挿絵と小説の関係などを考える意味でも興味深い考察だが、歴史的な文脈としてはここに「文学」と「マンガ」の分岐点を見ることも可能だろう。
前述の三浦氏との対話では「けっきょく当時のアメリカの新聞マンガについて知るためにはアメリカの新聞史についてキチンと調べていくしかないのではないか(めんどくさくてイヤだけど)」という結論に達したのだが、マンガというメディアそのものがどこから来たかを見るためにもおそらく同様の愚直さが必要とされている。大雑把にアウトラインを描くならこれまで西洋美術史の問題として語られてきた18世紀から19世紀の版画技術の発達とその商品化、グーテンベルグ以降の印刷技術の発展による出版史、新聞などのメディア史として語られてきたトピックをマンガというメディアを論じるために「マンガ研究」の中に位置づけなおす必要がある。さらに遡るなら文字などの記号表現と図像表現の分化、その複合表現のあり方としての挿絵、美術の問題なども検討されるべきだろう。このような議論はまた美術や文学研究にとっても実りのある論点を生み出すものでありうるはずだ。
実際にこうした問題意識からマンガを語る例も徐々に出てきはじめている。
東北大学には前述の三浦氏の指導教授である森田直子の指導下に同じような問題意識を持ったグループが存在するようだし、マンガ編集者のササキバラ・ゴウは「自費出版」というかたちでロドルフ・テプフェール『M.ヴィユ・ボワ』日本語版(オフィスへリア、2008年)や20世紀以前のマンガ先駆表現を集めた図版集『まんがはどこから来たか』(オフィスへリア、2009年)などを刊行しオンラインでこれらに付随する考察の発表を続けている。
特にササキバラは『まんがはどこから来たか』の中でマンガの定義の不可能性を説き、「まんがはある歴史の中で立ち現われ、たまたまそういう形態で広く流通した、という事実でしかない」とまで書いている。個人的にはそこまで原理主義的に振舞わなくてもいいような気がするが「定義」や「起源」は飽くまでも便宜上のものだという認識は必要ではないかとは思う。少なくとも私自身は「マンガ」や「マンガ研究」といったものの自明性を信じるつもりはない。それらは海外のものを含めいまだ曖昧で実体のはっきりしないものであり、逆にいえばだからこそいま「それ」をおこなおうとするひとたちに多くの可能性を提供するものでもある。ササキバラの試みは、そのような可能性の探求の第一歩としてとして「まんがはどこから来たか」を真正面から問おうとするものであり、その出版形態も含め、その勇気ある試みに対しては心から敬意を表したい。
……というかこういうひとがたくさん出てきて、なんにもしないでもみるみる疑問点が解決するような世の中になると一番いいなと思う。そうすっと自分でめんどくさいことしなくて済むし(まあ、みんなそう思ってるわけだが)。
【関連】
小田切博(おだぎり ひろし)
フリーライター、アメリカンコミックス研究家。90年代半ばからサブカルチャー誌などで執筆をはじめる。
著書として『誰もが表現できる時代のクリエイターたち』、『戦争はいかに「マンガ」を変えるか アメリカンコミックスの変貌』(ともにNTT出版刊)、共編著に『アメリカンコミックス最前線』(トランスアート刊)がある。
ウェブ上では WIRED VISION に「キャラクターのランドスケープ」を連載中。
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